映画の感想⑥

今週末は家人が不在で好きなことし放題なんですよ! 今もワイン片手にブログを書くなどしており、ウキウキな週末です♪ たまにはこういう週末も必要だよね~(まぁまぁ自由にさせてもらってますけど)。

『国宝』を観てきました!

いや~、良かったですよ! 3時間と言う長丁場でしたけど、まったく退屈せずに見入ってました。何度も泣かされたし。前情報ほぼ無しで見たんですけど、二人の男の半生を見せてもらって感無量でした。やっぱりこういう伝統芸能物ってのは独特の色気があっていいですね…多分それはある意味「形」が決まってるからなのかなと勝手に思ってるんですけどね。というわけで感想です。

歌舞伎版「ガラスの仮面」です

一言で言うとそれです。歌舞伎界のサラブレッド俊介(横浜流星さん)と、田舎のやくざ者の息子である喜久雄(吉沢亮さん)の演技バトル。「血統」が何よりも大事な世界で、名門の御曹司である俊介と血統など関係なく圧倒的な才能の持ち主である喜久雄の熱い関係。吉沢亮さんはキレイで女方として姿があり、横浜流星さんは天才喜久雄を立てるかのようにちょっと控えめな演技ぶりで、二人ともとてもよかった。

もうね、見ている間中、亜弓さんとマヤが頭の中を駆け巡ってましたよね。あのマンガがお好きな方ならきっと皆んな同じではないかと思います。もちろん俊介が亜弓さんでマヤが喜久雄。俊介の人となりはまさに亜弓さんそのものって感じだし、無意識にマヤってる喜久雄に「俊介…(涙)」ってなったのは私だけではないはずです。もちろん俊介と喜久雄は良きライバルなわけで、ソウルメイトともいえる程に芸への情熱を共有できる間柄なんですよね。そこにはあの真澄様さえ介入できないものがあって…(錯乱)。

とはいえ、芸事に執心するということは結局は孤独の道を行くということなのですね…。

突き詰めると孤独

自分の様な凡庸な人間には実感としては理解できないのですが、描かれていたのは極めた人の「孤独」なんだと思いました。芸に執心し、だからこそしんどい目にも遭っているのに、どうしてもそれが頭からはなれない。それを極めるためなら死んでもいいと思っている人間にしか到達し得ない世界。そこはきっと、美しくて恍惚とした、想像の上を行く世界なんでしょう。当然、凡百な人間には理解されないし、そこに至る道には付き合いきれないと離れて行かれてしまう。実際、喜久雄は芸のためなら悪魔に魂を売ってもいいとさえ言って、いざ晴れ舞台になれば娘の呼ぶ声にも応えないでいられるのですから。それでも少数ながらそういう人に魅せられる人々がいるから、伝統芸能は細々とながらつづいているんでしょうね

田中泯さん演じる万菊は、きっと喜久雄と同じタイプの人間だったんだと思います。芸のためにすべてを捨てた。芸に一生をささげたと言えば聞こえはいいですが、引き換えに孤独を生きた人なんだと思います。本人はそれで満足していると思うので(実際に偉業だと思うし)他人が何をいう事もないですが、自分から見たら壮絶です。だって、ドサ周りをしている喜久雄を呼びつけて「踊れ」と言った時に、コレで楽になれるみたいなことを言っていたじゃないですか。満足しつつもしんどさがあったのだなと。そしてそれを引き継ぐのが喜久雄だったんですよね。

一方で、俊介は恵まれているかのように見えて実はやっぱり孤独だった。誰もが欲しいと思うものをすべて持っているように見えて、実は一番欲しかった芸事の才能を持っていなかったのだから。彼はやっぱり努力の人=亜弓さんなんですよ。だから春江と共鳴し、夫婦となったんだと思います。

春江は理解できた

映画を見ながら、ちょっとだけ「昭和元禄落語心中」が頭をよぎりました。伝統芸能ジャンルの話だからかなと思います。ただ、ヒロインへの理解度と言うか共感度は全く違いました。「昭和元禄~」の小夏はどっちかと言うと嫌いでしたが、「国宝」の春江はとても共感できました。

春江は喜久雄を純粋に愛していたがゆえに、歌舞伎役者としてこれからと言う喜久雄の足かせになってはいけないと身を引いたわけで。喜久雄が求婚したけど春江にいなされてしまった日の早朝、何も言わず春江のアパートを出て行き春江は気が付いていたけど何も言わず追わないと言う時点で二人の仲は終わっていた(少なくとも春江の中では)。でも、春江は喜久雄の事を忘れたわけではなかったし、傷ついてもいた。だからこそ、喜久雄には勝てないと傷ついていた俊介と、「諦めた」という点で共鳴する部分があったんだと思うんですよね。喜久雄の才能には到底勝てないと打ちのめされる俊介の姿と、何物でもないがゆえに喜久雄を諦めざるを得なかった自分の姿が重なったというか。
でも、俊介は違いますね。多分ですが、以前から喜久雄に一途な春江のことを憎からず思っていたんだろうと思います。じゃなきゃ、ああやって甘えられないと思う。

渡辺謙の糖尿病は割とリアルだった

まぁ、年齢的にもありそうというか。一方で横浜流星さん(この名前は本名なの? 芸名にしても美しすぎる)はバナナは喰ってたけどそういうイメージ無いな~って思いながら見てました。足が壊死るほどコントロール不良とはまぁまぁだけど…。

でもまぁ、義足になったのとは別の足もすでに壊死ってるにもかかわらず舞台を続行させた喜久雄は俊介の命を舞台(曽根崎心中)のとおり奪ったわけで、でも俊介もそれを望んでいて…壮絶だなと思いました。芸に取りつかれた男が二人…。

ドリンクLサイズはデカすぎたよね

上映が12時過ぎからだったのでお昼を食べ損ねたせいでお腹がすいていて、いつもはMサイズのドリンクをLにしたんですが(3時間あるし飲めると思った)結局飲み切れませんでした。Lサイズってめちゃくちゃでかいんですね?! いつもはMサイズを秒で飲み干す私ですが、半分くらい残してしまった…(罪悪感)。まぁ、トイレもいけないししょうがなかったけどさ…。次からはMサイズにします。Lサイズのふたにはストローを注す穴が2つあって、どうも二人で飲むのが前提のサイズっぽかったです。確かにそういう量感だったわ。敗北。

というわけで終わり

なんか胸いっぱいというか、言いたいことが多くてまとめられないのが悔しいですが、とにかくこの作品で感じたのは「芸事を極める人の孤独」だったということで。もちろんそれは不幸ではなく、とんでもない才能との引き換えではないかと思う。人の一生のうちの幸、不幸の量は決まっていると聞きます。ほとんどの幸を才能と引き換えた人の最期は一体何を思うのか…常人にははかり知れませんね。

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